2011年8月7日日曜日

ボランティア(郡山)

8月7日に郡山 須賀川地区に炊き出しのボランティアに行ってきました。

 震災が起きた時、本当にショックでした。しかし現地に行く事もせず 東京で仕事をしながら 何か出来ない事はないかと考えていました。義援金を集めるとか、物資を送るとか、少しずつ始めました。そして、やっぱり炊き出しのボランティアだろうと思ったのです。
 私の中では、一人で道具、装備を持たずに行っても2、30~60人くらいなら 多少の手伝いがあれば、1週間でも10日でも3食作れると思ったのです。それで、つてをたどって、GWに釜石の方に行こうとしていました。しかし、供給過多でお断りされてしまい、挙げた手を下ろせなくなり、ちょっと心が困っていました。

 実家があるとか、活動をしている人を何人か 紹介していただき、炊き出しの申し込みをするもなしのつぶて。いや、それは当たり前で、自分から先方の活動内容を把握し、行ける所を探すのが普通だと思うのです。しかし、日々の仕事に追われ、なかなか出来ないなか、夏の前に在日フランス人シェフが炊き出し隊を出している事を知り、紹介者を経て、参加できる事になったのが、8月初旬でした。

 仕込みを手伝う事もなく、当日 集合場所に行き、用意された車に乗り込み 高速を一路 郡山に向かいました。世話役のPさんは在日25年のフランスの方で、もう何度も東北に炊き出し隊を出していて、その活動は以下のサイトでも見る事が出来ます。http://la-caravane.info/mission

 途中 昼食休憩を取り、午後には郡山須賀川地区の保険センターに到着。


 メンバーは、丸の内 メゾンバルザックのN総シェフ、Iシェフ、ブルーノートのSシェフ、名古屋のセパージュのFシェフ、と郡山のホテルのM調理長、調理師学校の先生方3人、、、、それと、世話役のPさん、奥様のEさん、広報?のPさん、ウェブ担当のFさん などなどです。

 食材の到着、調理備品の確認、セッティング、粛々と準備をします。窓から ブルーシートの屋根が見えるくらいで、普通の町並みでした。しかし、放射能という見えない災害が街を覆っています。
 調理師学校の先生の一人は、「小学生と幼稚園の子供がいるのですが、外で遊べないんですよ。」と言っていました。「屋内プールは街にないんですか?」と聞くと、「ありますよ。幼稚園で何回か言っている様です。」と言う事でした。


 協賛の大塚製薬、尺八や気功の方々が到着。仮設住宅にバスが行き、希望者を乗せて来て、1階の広間で、尺八の演奏を聞き、気功でちょっとした運動をした後、2階で食事となります。

 100人分の料理を2回戦 200人分供します。冷たい南瓜のポタージュ、鹿肉のハンバーグ茸ソース(お豆とロマネスコ)、パン、チーズ、ケーキが2種類、ミネラルウォーター。お酒は諸事情があり、提供できないそうです。

 スープ、ハンバーグ、付け合わせの野菜、ソースは調理済みの物を真空パックで送付されており、湯煎で温めます。汚れる物が少なく、調理も後片付けも最低限ですみます。なるほどと感心しました。また、仕込みの手伝いも出来ず 申し訳なく思いました。
 冷たいスープは冷たく、温かい料理は温かく出す為の配慮も忘れません。バック担当になったIシェフは、色々チェックを怠りません。

 私はチーズを盛る係となり、パンやケーキを乗せる人、水を渡す人と連携です。子供やお年寄りには、スタッフが運ぶので、ちょこちょこ役割が入れ替わります。子供もいて 心が痛みます。
 みなさん 帰る時に美味しかったですよ。と声をかけてくださいます。須賀川のスタッフ、私たちも同じメニューをいただきました。
美味しかったです。

 すべてお膳立てしてもらっての参加でしたので、行ってきましたというのも申し訳ないのですが、ともかく少し役には立ったかと、、

 これからは、福島県産の野菜を使うとか、また出来る事からやって行こうと思います。あと、やっぱり原発はいけないと、節電に努めようと思います。

 <写真は、メンバーの写真と世話役のPさん、メニューです。>
http://www.flickr.com/photos/soleil_yoko/sets/72157627595557401/